「性産業蔑視」と「人間性」
職業に貴賤なしとは言うけれど、心の底からそう思っている人はどれだけいるだろうか?
なりたい職業となりたくない職業の間に立場の差などないと胸を張って言える人はどれだけいるだろうか?
中でも今回は性産業にスポットを当てたい。
性産業は古くから賤業として扱われる機会の多い職業である。
Wikipediaには「性風俗産業に対する差別」というページがあるし、日本語の「売女」、英語の「whore」など性産業に従事する女性に対する差別単語は多くの言語に存在する。
だが「なぜ性産業がそのように扱われるのか?」という問いに答えるのはなかなか難しい。
「何となく」忌避感を持っている人が大半ではないだろうか。
明確な理由がないのに、多くの人が「何となく」忌避感を持つのは何故なのだろうか?
この問いに対する答えとして、「人間性」という仮説を思いついたので書き留めておく。
この記事では「人間性」という言葉は「人間とその他の動物を分かつもの」であると定義する。
そして、「多くの人が人間性の存在を(暗黙のうちに)信じている」と仮定する。
即ち「人間と他の動物は違う」「人間は特別な存在だ」という信念を多くの人が(無自覚のうちに)持っていると想定する。
これはそれなりに妥当な想定だと個人的には思う。
しかし、このような自然な仮定を置くだけで、性産業差別は半ば必然的に生まれてしまう。
なぜならば性産業は人間の「動物の部分」を掻き立てる産業だからだ。
そこでは「人間性」は否定され、むき出しの欲のみが人間を支配する。
「人間とその他の動物を分かつもの」は存在せず、人間も動物の一種であることを否が応でも実感させられる場所だ。
それは「人間性」の否定である。
人間こそは他の動物とは違う特別な存在だという信念にとって、それは不都合な真実なのだ。
故に「人間性」はそれを忌避する。
多くの人が持つ「自分達は特別な存在だ」という無自覚な思いこそが、性産業を蔑視する源泉なのである。
この仮説が正しければ、残念ながら人間という種が今の地位を占め続ける限り性産業蔑視はなくならない。
逆に言えば、「人間は特別な存在だ」と思えなくなったときが性産業蔑視のなくなる時である、とも言える。
…宇宙人に支配された時、とかかな。