今週読んだ本(2019/04/28~2019/05/05)

「リーダブルコード」

 

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

 

 

言わずと知れたプログラマーの教科書。

何回も読み返しながら実際にコードを書いていってこそ真価を発揮する本。

 

 

進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化しない価値観」

 

 

進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化しない価値観 (フェニックスシリーズ)

進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化しない価値観 (フェニックスシリーズ)

  • 作者: アラン・S・ミラー
  • 出版社/メーカー: パンローリング株式会社
  • 発売日: 2019/01/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

人間の行動や感情を生物学的、進化論的な視点から考察する本。

 

一般的に男のほうが暴力的なのは、男の方が遺伝子を残すための激しい競争に晒されてきたからとか。

(男は他の男を排除すればするほど多くの女と関係を持てるので他の男を排除するインセンティブが大きい。女は他の女を排除しても自分が残せる遺伝子(子供)の数は変わらない。)

 

「男はなぜセクシーなブロンド美女が好きで、女はなぜセクシーなブロンド美女になりたがるのか?」

「なぜ同じ状況でも、男と女で受け取り方が違うのか?」

といった問いに答えるQ&A形式で書かれていて1つ1つの話はすっきりまとまっている。

 

 

リチャード・ド―キンスの「利己的な遺伝子」と併せて読めば人間も(少なくともかなりの部分)遺伝子に支配されたただの動物だということがよくわかる。

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 

 

今週読んだ本(2019/04/20~2019/04/27)

 

景気の回復が感じられないのはなぜかー長期停滞論争

景気の回復が感じられないのはなぜかー長期停滞論争

 

これは有意義さという意味で凄く良かった。

本当に非常に良かった。

感銘を受けた、というレベルの本に久しぶりに出会った。

やはり一流の人達は凄い。

気が早いけど今年のBEST BOOK候補かもしれない。

 

内容は数年前のバーナンキ、サマーズ、クルーグマンといった超一流の経済学者たちの、長期停滞論に関する演説、ブログ記事などをほぼそのまま邦訳したもの。

本文の後の解説に大まかな流れが書かれてるので解説から読んだほうが良いかもしれない。

 

ざっとした感想としては↓のような感じ。

 

ただ(もちろん日本語だが)バーナンキやらサマーズやらのブログとかを結構そのまま載せてるので、本当の初心者向けの本ではないかな。

一から説明するタイプの本ではないし、行間を埋めるのに少し考えないといけないところも多い。

 

例えば、今ぱっと開いたページにはこんな文があった。

一つ目はヒステリシス、今日は逆セイの法則と呼ばせてもらうものです。ジャン・バプティスト・セイはシカゴ派経済学者の守護聖人で、供給はそれ自身の需要を創り出すのだと十九世紀に宣言しました。つまり、いわば失業や産出ギャップは起こりえないというわけです。というのも、何かを作ったら、それを作ることでだれかの所得を生み出さねばならず、そしてその所得を得た人びとはその所得を支出するからです。

この文が全く意味不明ならこの本を読むのは厳しいかもしれない。

逆に、何となくこの文の意味が分かるならば、多少行間を埋める努力は必要かもしれないが問題なく読めると思う。

 

非常に有意義な本だった。

増税なんかしてる場合じゃないですよホントに。

 

 

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編

 

こっちはマクロ経済の4つの目標(経済成長、失業率の低下、インフレ率の低下、持続可能な国際収支)に関するトピックについて、平易な言葉で書かれた本。

 

まえがきによればミクロ編を先に読んでほしいらしい。

が、ミクロ経済学に関しては神取さんの「ミクロ経済学の力」を積んでるのでまずはそれを読まねばならない。

 

「景気の回復が~」とは違って非常に簡単な言葉で書かれているのでスラスラ読める一方で、脱初心者?レベルの僕から見ても当たり前のことしか書いてないように感じて若干物足りない。

 

ケインズ派新古典派について簡潔にまとまっていたところは良かったかな。

人間性の洋の東西、性産業への寛容度

http://hare0008.hatenablog.com/entry/2019/04/24/194416

の続き。

 

今回はやや簡略化して、「人間性」という言葉を「人間と他の動物は違うという信念」であると定義する。

言わんとするところは同じであり、前回の定義もこう読みかえたほうがすんなり理解できるかもしれない。

 

前回は「人間性」こそが性産業蔑視の源泉であり、故に人間がトップの生態系が変わらない限り性産業蔑視はなくならないと主張した。

 

今回は西洋と東洋における「人間性の違い」を検討し、性産業への寛容度と結びつけることでその主張の裏付けを図る。

 

なおこの記事では「西洋に比べて、東洋のほうが性産業への寛容度が高い」ことを事実として認めた論理構成となっているが、これが真実であることは保証しないし、故にこの記事の内容が真実であるという主張もしない。

 

 

 

さて、改めて前回の復習をすれば、「人間性」とは「人間とその他の動物を分かつもの」であった。

そして性産業は「人間性」を否定するので、「人間性」を無意識のうちに信じている私たちは性産業に忌避感を抱くのであった。

 

ここで「西洋と比べて、東洋のほうが性産業への寛容度が高い」という事実を考えよう。

人間性」によって私たちが性産業を忌避するのならば、「西洋と比べて、東洋のほうが性産業への寛容度が高い」ということは「西洋の人間が信じている「人間性」と東洋の人間が信じている「人間性」に何らかの違いがある」ことを意味する。

 

 

ここまで書けば勘の良い人は気づいたかもしれない。

そう、宗教である。

 

2千年前に起こったキリスト教はその後西洋の広い地域で信仰された。

キリスト教において人間は神の子であり、その他の動物とは異なる特別な存在である。

「人間とその他の動物が異なる」ことは当然であった。

 

キリスト教が西洋の教育、哲学、価値観に与えた影響の大きさを考えれば、現代西洋思想にもその影が色濃く残っていると考えるのは自然だろう。

 

即ち、西洋においては「人間性」が強く信じられているのである。

(強く信じられているからといってそのことに自覚的であるとは限らない。社会規範や常識によって知らず知らずのうちに私たちが存在を信じているものは数多くある。)

 

 

一方で、仏教やヒンドゥー教など東洋の宗教においては、輪廻転生を始めとした、人間を世界の一部と考える見方が中心的だった。

そのような見方の中では、「人間と他の動物は違うという思い」の存在感は、西洋のそれと比べて非常に希薄だった。

 

つまり、東洋人は西洋人ほど、「人間は他の動物とは違う」と思っていないのだ。

 

 

 

・「人間性」が性産業を忌避する

・西洋人のほうが「人間性」を強く信じている

この2つの仮説から、東洋のほうが性産業への寛容度が高い事実が自然に導かれるのは言うまでもないだろう。

 

 

今回は「人間性」が性産業を忌避するという仮説について、性産業への寛容度という面から考察し、宗教的、歴史的側面から自然なストーリーで仮説と事実が結びつくことを確認した。

 

続くかどうかは分からない。

「性産業蔑視」と「人間性」

 

職業に貴賤なしとは言うけれど、心の底からそう思っている人はどれだけいるだろうか?

なりたい職業となりたくない職業の間に立場の差などないと胸を張って言える人はどれだけいるだろうか?

 

 

中でも今回は性産業にスポットを当てたい。

性産業は古くから賤業として扱われる機会の多い職業である。

Wikipediaには「性風俗産業に対する差別」というページがあるし、日本語の「売女」、英語の「whore」など性産業に従事する女性に対する差別単語は多くの言語に存在する。

 

だが「なぜ性産業がそのように扱われるのか?」という問いに答えるのはなかなか難しい。

「何となく」忌避感を持っている人が大半ではないだろうか。

 

 

明確な理由がないのに、多くの人が「何となく」忌避感を持つのは何故なのだろうか?

この問いに対する答えとして、「人間性」という仮説を思いついたので書き留めておく。

 

 

この記事では「人間性」という言葉は「人間とその他の動物を分かつもの」であると定義する。

そして、「多くの人が人間性の存在を(暗黙のうちに)信じている」と仮定する。

即ち「人間と他の動物は違う」「人間は特別な存在だ」という信念を多くの人が(無自覚のうちに)持っていると想定する。

 

これはそれなりに妥当な想定だと個人的には思う。

 

 

しかし、このような自然な仮定を置くだけで、性産業差別は半ば必然的に生まれてしまう。

 

なぜならば性産業は人間の「動物の部分」を掻き立てる産業だからだ。

そこでは「人間性」は否定され、むき出しの欲のみが人間を支配する。

「人間とその他の動物を分かつもの」は存在せず、人間も動物の一種であることを否が応でも実感させられる場所だ。

 

 

それは「人間性」の否定である。

人間こそは他の動物とは違う特別な存在だという信念にとって、それは不都合な真実なのだ。

 

故に「人間性」はそれを忌避する。

多くの人が持つ「自分達は特別な存在だ」という無自覚な思いこそが、性産業を蔑視する源泉なのである。

 

この仮説が正しければ、残念ながら人間という種が今の地位を占め続ける限り性産業蔑視はなくならない。

逆に言えば、「人間は特別な存在だ」と思えなくなったときが性産業蔑視のなくなる時である、とも言える。

…宇宙人に支配された時、とかかな。

全てを手に入れることはできない

 

就活も終了間際、手持ちの内定を検討する段階で改めて自分のキャリアについて考える。

 

僕の価値観的には、リスク分散のためにも3〜7年(27〜31歳)で転職して複数社で働いた経験を身に付けておきたい。

 

そのことを前提として日系大企業とベンチャー、どっちに入ると何を得られるか?

 

日系大企業なら箔はつくだろう。

ベンチャー→大企業は難しいとよく言われるが、大企業→大企業は可能かもしれない。

ただ日系大企業で上に行く人はプロパーで入った人だろうから、大企業→大企業の転職にどれだけの価値があるのかは分からない。

 

人数が多いので様々な人の様々な仕事を見れるだろうし、人材の多様さと豊富な人脈はプラスになるだろう。

額面の給料は低くとも豊富な福利厚生があるところも多い。

しかし俗に言う配属ガチャ、スピード感のなさ、使えないおじさんあたりが問題か。

 

 

一方でベンチャーは、そのスピード感と裁量、自由度の大きさ、目先の給料の高さが魅力だろう。(個人的に給料が安いベンチャーに行く価値はないと思っている)

目先の数年を考えるなら大企業よりも良い点が多いように映る。

ただその一方でキャリア観はしっかり持っておかないと、目の前のタスクに囚われて専門性はないけど何でもやる人ができそうだ。

 

デメリットは中年以降のキャリアプランと会社自体が傾くリスクか。

特に中年以降のキャリアパスがはっきりしないのは悩ましい。

大企業ならば会社にしがみつく無能おじさんになれるかもしれない。

なりたいかと言われるとまだ別の話だが。

 

 

みなし残業とかいう邪悪な制度は早く滅びてほしい

 

 

 

 

 

 

逆イールドの意味がよく分からなかったから調べた

昨日から今日にかけてTLで逆イールドと言う単語が飛び交っていた。

 

要は米国債の利回りが短期>長期になることらしい。(短期、長期の具体的な数字としては3ヶ月と10年が使われることが多いとか)

 

これが起こると不景気が近いうちに来るらしい。

 

ところで、短期国債の利回り>長期国債の利回りになるとは具体的にどういうメカニズムなんだろう?

 

普通は長期国債のほうが利回りがいいわけだ。

長くお金を貸すんだから利子も多めにつけてもらわないとそりゃつりあわないよね。

 

ところがどっこい、短期国債のほうが利回りが高くなると貸してる期間が短い方が利子がいっぱいつくという訳分からんことになる。

 

そうするとみんな短期国債を欲しがって、短期国債の利回りが低くなる(あるいは長期国債の利回りが高くなる)んじゃないか?

そう思うわけね。

 

市場原理的には(たぶん)この言説は正しいんだけど、短期国債金利というのは国の政策金利によって決まるらしい。

 

一方で長期国債金利は市場原理で決まるそうな。

 

つまり長期国債金利が低い状況というのは、市場参加者が「これから短期国債金利(=政策金利)は下がるだろう」と予測してるってことなんだよね。

(そうすると短期国債金利<長期国債金利という普通の状態に戻る)

 

で、政策金利が下がる、すなわち中央銀行(日本でいえば日銀)が市中銀行(民間銀行)にお金を貸す時の金利が下がるってことはすなわち不況なのね。

なぜなら政策金利が下がる=民間銀行が民間企業にお金を貸すときの金利も下がるってことで、そうすることで民間企業にどんどんお金を回して経済を活性化させたい状況だからね。

 

だからまとめると、逆イールドが起きる=政策金利は下がると予測されている=不況が起きると予測されているということなんだよね。

 

で、歴史上どうやらその予想はだいたい正しいらしい。

どうも逆イールドが起きてから9か月~18ヶ月後ぐらいで本格的な不況がくるとか。

 

嫌な話だ。

 

 

ちなみに補足だけども、上のほうで利回りと利子がつくという言葉を同じ意味で使っているけどこれは間違い。

 

例えば100万円の10年国債があって、この国債は10年後に110万円になって返ってくるとする。

すると利子率は年1%だ。

でもこの国債を買った5年後には、この10年国債は5年後に10%の利子がついて返ってくる国債になっている。

 

仮に値段が100万のままだとしたら利回りは年2%だ。(もちろん値段が100万のままとは限らない。需要と供給の関係で値段が決まる。)(まぁ大体は値段上がるよね。利子もらえるまでの期間が短くなってるんだから)(値段が上がると利回りは下がる。つまり逆イールド状態は長期国債の値段が上がっているとも言える)

 

これが利子率と利回りの違い。

利子率は最初に設定されてずっと一定だけど、利回りはその国債の取引価格によって変化する。